生きている意味がわからない!人生を生きる理由とは?

目次

【はじめに】人が生きる意味は何があるのか

人が生きている意味は、人それぞれですよね。 「幸せになるために生きている」という人もいますし、「好きな旅行に行くために生きている」という人もいると思います。

また、「家族を養うために生きている」という人もいますし、「仕事こそが生きがい!」という人もいるかもしれません。

人が生きている理由はそれぞれ。でも私の場合は、生きている意味が分からなった


このように、人によって、いろいろな生きる意味があると思うのですが、、、 私の場合は、「自分が生きる意味」が、ずっと分かりませんでした。

友達から、「お前は生きる価値がない」と言われたこともありましたし、私自身も、自分が生きている理由は分かりませんでした。 強いて言うなら、「産まれたから生きている」というのが、私が思っていた答えです。


でも、そんな私でしたが、今なら、「自分が産まれてきた理由」と「自分が生きている意味」を明確に話すことができます。

生きている価値が分からず、人からも、「お前は生きる価値がない」と言われてきた私が、 自分なりに見つけた生きる意味をお伝えしますので、もし良かったら、参考にしてくださいね。

生きるのが辛かった過去 ~ 私の過去の話 ~

自分で言うのもなんですが、、、私はもともと、性格があまり良くありませんでした。 人のことを考えることができなくて、空気を読むこともできませんでしたし、本当に、自分勝手という感じの子どもだったと思います。

友達からも嫌われていて、小学校のときに友達から、私の名前である「takuma(たくま) の「t」を取って、akuma(あくま)」と言われたこともありますからね。

友達からも、このように言われるとは、そうとう「性格が悪かった」ということですよね。

性格が悪くて、人から嫌われていた

親からは、よく叩かれていた

そんな悪い子どもだったので、親は大変だったと思います。

言うことを聞かない子どもだったので、小さいころ、母親から叩かれた数は、かなり多かったです。 一度怒られると、何回も叩かれていたため、トータルで叩かれた数は、300回は軽く超えていると思います。

あまりに数が多かったので、叩かれた回数をノートに書いたこともありましたからね。(2回書いただけで終わりましたけど笑)

「痛かった」という記憶はないのですが、、、うずくまっているときに、背中を何度も叩かれたので、「バンバン!」という音をよく覚えています。

親から叩かれた回数はとても多かった

外によく出されていた

そして、外にもよく出されました。 私は小さいころ、古い一軒家に住んでいたのですが、私が悪いことをすると、窓(掃き出し窓)を開けて、外に出されていました。

小さい庭に、砂利(小さな石)が敷いてあったのですが、その砂利の地面に投げられる形で、外に出されていましたからね。 当然、家から出されると裸足なので、外に置いてあったサンダルを履いて、何時間も外にいました。


そんな私が考えたことが、外に出されたら、車の中にいるという方法です。 昔は、車のドアの鍵が開いていることが多くて、外に出されたら、車の中にいるようにしていました。

でも、それが母親にバレると、車の中から無理やり引きずり出されて、また砂利の地面に投げられるのですよね。 運転席のドアを開けて、後部座席にいる私を無理やり出したので、座席とドアに挟まれて、苦しかったことをよく覚えています。


そして、夜になると、父親が仕事から帰ってきて、私を家の中に入れてくれました。 そのときに、テレビで「北斗の拳」というアニメを見れたことが、嬉しかったですね。

外に出されているときに、「早く中に入れてくれないかな」とずっと思っていました。

外によく出されていた

両親が私のことを罵倒していた

注意されても、叩かれても、外に出されても、私が良い子どもになるわけではなかったので、、、日常的に、両親からの罵倒はすごかったです。

父親と母親が、家の1階のリビングで、「だからあいつはダメなんだ!」、「情けない」、「あいつのこういうところが悪いんだ!!」と話しているのを、私は2階の階段に座りながら、気づかれないように聞いているのが日課になっていました。


今、振り返って思うと、両親が二人で、ずっと私の悪いところを言い合っているのを聞いていることが、一番辛かったですね。

叩かれる痛みや、外に出される辛さよりも、両親が2人で私のことを罵倒しあっているのを聞いているときが、一番辛かったです。

両親から人格否定されたことが、最も辛かった

小学校のときに、死のうと思って、包丁を持ち出した

そんな私が、「死にたい」と思ったのは、たしか、小学校5年生のときです。 台所にある包丁を、自分の部屋に持っていきました。

でも、実際に包丁の先端を指で触ってみると、細いのに、すごく固いんですよ! 「包丁ってすごく固いな、こんなので刺すなんて絶対ムリ!」と思ったことを、今でもよく覚えています。


でも、両親に気づいてほしかった私は、家にある「包丁研ぎ器」で包丁を研いだら、先端が黒くなったのですよね。 私は、「これで気づいてもらえる!」と喜んで、包丁を元の場所に戻しました(笑)

でも、結局、両親には気づいてもらえませんでしたけどね…。

小学生のときに自殺しようと思った



私の両親は、多くの人から好かれている、普通に優しい両親です。

だから、私がそうとう悪い子だったということですよね? 確かに、今、振り返ってみても、私は本当に頭も悪かったし、人のことを考えられない自分勝手な子だったと思います。(つまり、私が悪い)


ただ、自分で「悪い」ということは分かっていたのですが、小さい頃の私は、自分の性格を、どうやって変えれば良いのかが分かりませんでした。

「人に好かれたい」と思っていましたが、頭の悪かった私は、自分の性格のどこが悪くて、何を変えたら良いのかが分からなかったのです。

生きる意味なんて、まったく分からず、「自分はダメで必要のない人間」だと思って、ずっと生きてきました。

自分が生きる意味が見つかる ~ 私が生まれてきた理由 ~

性格が悪かっただけでなく、頭も悪かった私は、社会人になってからも、仕事はまったくできませんでした。

実際に、「お前ダメダメだね(笑)」とか、「お前が成長できるなら、誰でも成長できる」と言われていたくらいでしたからね。 本当に、私よりも仕事のできない人間は、世の中にいないんじゃないかな、と自分で思っていたほどです。

仕事も本当にできなかった過去


でも、そんなダメな私でしたが、社会人になったら、「仕事は頑張る」と決めていたので、自分なりに一生懸命に仕事をしました。

最初は失敗ばかりしていましたが、知識と技術が身について、だんだんと仕事ができるようになってきたのですよね。 「人から褒められる」という経験や、「人に認めてもらえる」という経験もして、自分に自信を持つことができるようになりました。


それから私は、26歳で会社を辞めて、独立しました。 独立をして最初の2年間は、なかなか収入を得られなくて大変でしたが、、、運良く、3年目から月250万円くらいの収入を得られるようになりました。

そして、結果が出始めると、周りの目も、一気に変わってくるのですよね。

今まで、「お前はダメだ」、「バカなの?」と言われてきた私でしたが、知識と技術がついて、収入を得られるようになると、 「あなたはすごい人です! 憧れます!」と、まるで神様のように扱われるようになりました。


本当に、人間の評価というのは、これほどまでに変わるのか?と思いましたよ。

そして、この経験で、「こんなダメな俺でもできるんだ」という自信と、「成長することの楽しさ」が分かりました。 今までできなかったことができるようになり、できるようになると、たくさんの人が認めてくれて、必要としてくれたからです。

今まで、自分の生きている意味が分からなかったのですが、このときに、「自分は成長するために生まれてきた」という考え方になりました。 誰よりもできない私だったからこそ、このような考え方になったのだと思います。

自分は成長するために生まれてきた。生きる意味が分からなかった私が、初めて生きる意味が分かった!


今、私が思っていることは、「ダメだった自分が、どこまで成長できるのかを確かめてみたい」ということです。

今までできなかったことができるようになることは、とても楽しいことだし、人から褒められて、人に認めてもらえることは、とても嬉しいことだからです。

そして、自分が成長していく中で、少しでも人に良い影響を与えられる人間になりたいな、と思っています。 自分が成長すると、人に良い影響を与えることができて、人に喜んでもらうことができる、ということが分かりました。

これが、私が今、生きている意味であり、私が生まれてきた理由です。

人生を生きている意味のまとめ

最初にお伝えしたとおり、「生きている意味」は、人それぞれです。 生きている意味について、すべての人が一致するような答えは、ないと思います。

ただ、生きている意味は人それぞれで異なるけど、「嬉しいこと」は、ほとんどの人で一緒だと思っています。 たとえば、人に共感してもらえたり、必要とされたり、褒められたり、感謝されたら、誰でも「嬉しい」と思うものですよね?

そして、「嬉しいこと」を多く体験している人の人生は、その人にとって、「生きる意味」になることが多いと思います。

嬉しいことが、その人にとっての生きる意味になっていることが多い


私も、自分が成長することによって、人に必要とされたり、褒められたり、感謝されるようになりました。

そして、子どもが産まれたことで、「自分は成長するために生まれてきた」という自分だけの生きる意味ではなく、 子どものために、自分は生きたいと思うようになりました。

私の子どもには、私と同じような失敗した人生を送ってほしくない、楽しく幸せな人生を送ってもらいたいと思っていますし、 そのために、私の経験談や分かったことを、このサイトに掲載しています。


それにしても、人生って分からないものですよね。

生きる意味が分からないで、「生きている価値がない」と友達に言われて、小学生のときに「死にたい」と思っていた私が、 今は、何がなんでも生きたいと思っているのですから(笑)

今、振り返って思うと、あのときに死なないで本当に良かったな、って思っています。


「生きている意味」は人それぞれだし、昔の私のように、生きている意味が分からないという人も、きっといると思います。 そのような方にとって、今回の情報が、少しでも参考になれば、嬉しく思います。

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